越登賀三州志附圖
越登賀三州志附圖について
この絵図は、質の高い紙や絵具などを用いて詳細に記された越中・加賀・能登の国単位の大型絵図で、加賀藩士で郷土史家でもあった富田景周(1746~1828年)が自著『越登賀三州志』の「図譜村籍」に対応する附図として、江戸時代後期の文化11年(1814)から文政2年(1819)頃までの間に作成したものと考えられています。
市内の個人宅で発見されたものですが、江戸時代の越中・加賀・能登3国に関する重要かつ基本的な地誌である『越登賀三州志』の附図として、ここまで詳細かつ丁寧に記された絵図は他には確認されていません。富山・石川両県の江戸時代後半の歴史地理情報を知る上で、大変貴重な資料であり、令和2年に小矢部市指定文化財に指定されています。
各図の表書きには、「三州志附圖」の題の後に「越中国輿地」・「加賀国輿地」・「能登国輿地」(「輿地」は大地の意味)と記されていて、図の中にはそれぞれの国の形、町や村の表記と位置関係、道筋、河川の流路、潟の形、海上注記、隣国との国境注記、一里塚、城跡などが詳しく正確に記され、鮮やかな絵具で彩色されています。
村は○で位置を示し、脇に村の名前、○内にその村が属する集合体である郷や庄や保の名前の頭文字、人が住んでいない無家村はやや小さな●の脇に村名と郷や庄の頭文字を記しています。
町は、それぞれ不定形な町域の中に、町名とその町が属する郷や庄の区別を記しています。
この絵図の原本は個人所有でしたが、令和5年5月に市へ寄贈され、現在は小矢部ふるさと歴史館(小矢部市埴生)の収蔵庫で保管しています。